アール・デコと印刷物コレクション【コウゲン編29】

アール・デコと印刷物コレクション

 

エンパイアステートビル(ロックフェラーセンターからの眺め)

 

vieux papiers(ヴュー・パピエ)とアールデコ

僕の古い印刷物vieux papiers(ヴュー・パピエ)集めは、蚤の市を中心に続く。
テーマはファッション、文様、イラスト等。
物としては古い印刷物、例えば古本、雑誌、新聞、ポスター、絵葉書、ラベル、などなど。

 

当時の手書きの原画なども良く蚤の市の屋台のすみにあったりして、僕を喜ばせた。
そんなすみに置いてある物を念入りに探したものだ。
僕には予算はあまりない。
すみに置いてあるような物は、店にとって重要ではないという意味で、たいてい安いものが多い。

 

アール・ヌーヴォー時代のものは、すでにかなり集まったので、次の時代のアール・デコに集中した。
もちろんこのアール・デコも、シーズンのファッションテーマにもなることがあって、僕のデザインアトリエのためにもなる。
アール・デコスタイルは第一次世界大戦の頃から登場する。

 

 

第一次世界大戦、フランスは戦争一色、アール・デコの誕生

1914年から1918年まで、ヨーロッパを舞台に繰り広げられることになる第一次世界大戦のために、この間に発行された印刷物は、戦争関係のポスターなどばかりで僕にとってめぼしいものは少ない。
しかしこの期間に様々な分野で機械化が進んだこともあって、緩やかで曲がりくねった線のアール・ヌーヴォーのスタイルが直線的な幾何的なスタイルに変貌して行く。
アール・デコの誕生である。
僕が収集するものは見つからない。

 

 

ポール・ポワレからココ・シャネルへ

大戦後1920年代に入ると、ポール・ポワレがリーダーであったファッションの世界が、ココ・シャネルが華々しく登場することによって大きく変わっていく。
アール・デコ時代の本格的な幕明けである。
これは1920年代〜1930年代にかけて続くことになる。
アール・デコは新しい合理的なスタイルだった。
大戦後世界の機械化、工業化が進む中で、大量生産の需要に応えやすい装飾スタイルとして、あらゆる生活分野で取り入れられることなる。
特にこの大戦で戦勝国側になったアメリカでは、アールデコ装飾を取り入れた高層建築が数多く建てられた。
エンパイヤステートビルなどがそれにあたる。

 

 

アール・デコ時代はvieux papiers(ヴュー・パピエ)収集家に取ってはムツカシイ

vieux papiers(ヴュー・パピエ)の収集家の僕にとってはアール・デコは、別の問題をもたらした。
アール・ヌーヴォーの時代の印刷物は手作り的な要素も強く残っていた。
リトグラフによるポスターなどは、ポスター収集家がいて、宣伝のために消耗されるポスター以外に、一般の収集家のために印刷される物もあって、それが残っていて蚤の市でも見られた。
アール・ヌーヴォー時代のカラー印刷はポスターだけでなく、雑誌やその他イラストも手作りリトグラフで、綺麗なものが多い。
僕らはそれにハマっていたのだ。

 

しかしアール・デコ時代になると、大量生産、大量消費の時代になって、大量に印刷されるポスターなども以前より多くの場所に貼られ、頻繁に新しい物と変えられるようになる。
期限の終了したポスターは剥がされるか、その上から新しいポスターが貼られたりして、いくら良い物であっても残らない。
完全に消耗品になってしまったのだ。
今残っているアール・デコのポスターは膨大な種類の印刷された、この時代のポスターの内、特殊なルートで残され、有名なものだけが残っていると考えられる。

 

とにかくアール・デコ時代になるとvieux papiers(ヴュー・パピエ)の中で花形だったポスターが、収集の対象から外れてしまうのは非常に残念なことだ。
ポスター以外にも絵葉書やラベルなども、写真印刷や輪転機による大量生産体制のシステムで製造され、アール・ヌーヴォー時代の丁寧に印刷されたカラー印刷物とは比べられないものになった。
アール・デコは街中でみんなが見ることができるという意味では、いい時代になったが、vieux papiers(ヴュー・パピエ)収集家にとっては少し残念なことである。

 

 

シャネル時代が続くが、ナチスの影が

1930年代になるとアメリカを中心に起こった大恐慌の影響を受けながらも、ファッションはココシャネルを中心に、華やかに展開されていく。
ランバン、パツー、特に注目されたのがエルザ・スキャパレリの登場だった。
当時すでに芸術運動として評判の『シュールレアリズム』の流れの中で、ダリと組んだりして、ファッションの分野で新しい表現を繰り広げた。

 

 

僕はますます蚤の市のvieux papiers にハマる

しかし大恐慌の影響は、ナチスの台頭を呼び起こし、時代に暗い影を落としながらアール・デコ時代も終焉(しゅうえん)に向かっていく。
僕はこの時期の手描きのファッションイラストや、手描きの模様デザイン画を集めた。
パリでvieux papiers(ヴュー・パピエ)の収集をしていると、そんな時代の流れが当時の印刷物を見ながら理解できるというのも、僕がvieux papiers(ヴュー・パピエ)にハマる理由だ。

 

 

プロフィール

水彩風の男性写真

名前はコウゲン。
田舎のお寺の長男に生まれ、坊主になりたくなかった僕は、とにかく遠くへ逃げたかった。
出来れば外国へ。
その夢が実現してパリに10年住んだ後、日本に帰国してジュエリーブランドを創業。

 

 

前回までのあらすじ

・ファッション資料を求めて、フランス移住【コウゲン編1】

https://imac-j.com/blog/france/1502/
・フランス移住後、ゼネストと仕事【コウゲン編2】

https://imac-j.com/blog/france/1506/

・パリでの初仕事~通訳事件【コウゲン編3】

https://imac-j.com/blog/france/1650/

・リヨンでの発見【コウゲン編4】

https://imac-j.com/blog/france/1768/

・パリに着いて1年後【コウゲン編5】

https://imac-j.com/blog/france/1773/

・リヨンとギニョール人形劇【コウゲン編6】

https://imac-j.com/blog/france/1812/

・パリの食生活【コウゲン編7】

https://imac-j.com/blog/france/1816/

・パリのファッションの変化【コウゲン編8】

https://imac-j.com/blog/france/1818/

・パリでファッションカメラマンになる【コウゲン編9】

https://imac-j.com/blog/france/1820/

・フランスから物申す~我が社の経営陣に問題あり【コウゲン編10】

https://imac-j.com/blog/france/1829/

・フランスから一時帰国【コウゲン編11】

https://imac-j.com/blog/france/1831/

・フランスから一時帰国、そして手に汗握る攻防戦【コウゲン編12】

https://imac-j.com/blog/france/1833/

・パリに帰りたい【コウゲン編13】

https://imac-j.com/blog/france/1835/

・ふたたびパリへ【コウゲン編14】
https://imac-j.com/blog/france/1838/

・パリで新しいスタート【コウゲン編15】

https://imac-j.com/blog/france/1840/

・パリでデザインアトリエ経営【コウゲン編16】

https://imac-j.com/blog/france/1863/

パリのデザインアトリエで日本人デザイナーが活躍【コウゲン編17】

・フランスの雪山ドライブ【コウゲン編19】
・パリのファッション情報【コウゲン編20】
パリで蚤の市に夢中になる【コウゲン編21】
・デザイン資料を求めてマルセイユやリヨンへ【コウゲン編22】
パリで出会ったデザイナー【コウゲン編23】
パリには面白いものがいっぱいある【コウゲン編24】
ド・ゴール政権からポンピドゥー大統領へ【コウゲン編25】
・パリから列車でスペイン旅行【コウゲン編26】
フランスのバカンス【コウゲン編27】
アール・ヌーヴォーにハマる【コウゲン編28】
 

関連情報

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会社名 株式会社イマックジュエリー
住所 〒107-0062
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営業時間 10:00~17:00
代表者名 奥谷千賀子(オクヤ チカコ)
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