ファッション資料を求めて、フランス移住【コウゲン編1】

ファッション資料を求めて、フランス移住

草原に置かれたスーツケースとマフラー
プロフィール: 
名前はコウゲン。
田舎のお寺の長男に生まれ、坊主になりたくなかった僕は、とにかく遠くへ逃げたかった。
出来れば外国へ。
その夢が実現してパリに10年住んだ後、日本に帰国してジュエリーブランドを創業。
 
 

1968年、日本からパリへ

当時の日本はまだ円が弱く、外貨不足の時代で外国へ行くのが非常に難しい時代だった。
しかし、僕の夢は一度外国に住んでみることだった。
 
当時の日本は高度成長期。
現在の中国のように、安い人件費で安く製造出来る日本製品は世界の先進国に売れて景気が良くなりつつあった。
 
 

繊維関係、ファッション、デザイン、プリント生地

繊維関係、ファッション関係の会社が特に勢いが良かった。
商社や繊維会社のデザイン室や意匠室では、プリント生地に使うデザインやデザイン資料となるファッション雑誌や本など、特にファッション発信国であるフランスやイタリアのものを常に探し求めていた。
 
僕が当時勤めていた会社は、そのようなファッション資料やプリント柄デザインなどをヨーロッパから輸入して、景気のよかった繊維関係の会社や商社のデザイン室に売り込んでいた。
当時の世界経済を牽引していたアメリカからバイヤーが商社や繊維会社へ頻繁に来て、特に付加価値の高いプリント生地などを買いあさっていた時代だった。
僕のいた会社もよく儲かっていた。
 
 

新会社創業

それを経験して、その会社にいた僕を含め5人程が同じようなビジネスをしようと小さな会社を立ち上げた。
僕はそのなかで一番若い方だった。
僕は商品を持って売りに走り回った。
 
しかし、我々の会社にはすぐに問題にぶち当たった。
良い商品があればいくらでも売れた。
しかし、ファッション関係の資料だから、ファッション先進国のフランス、イタリア、アメリカのものでないと売れない。
輸入しようとしても重要なものは、元の会社が既に契約して代理権をもっていて買うことが出来ない。
 
 

新会社、難局、フランス行きを提案

なんとか売れる商品を見つけては売って3、4年は持ちこたえた。
しかし、だんだん売る商品がなくなってきて、我々の小さな会社の存続が怪しくなってきた。
これが限界だと思った僕は会社に提案した。
自分がフランスへ行って滞在して、直接に現地で商品を探して来ると。
勿論外国へは行った事もない僕には何の当てもない、当然知り合いもいない。
国内でも飛行機に乗ったことがないくらいだ。
 
円がいまだドルに対して360円の時代で、当時の僕は外国へ行くという事、外国で暮らすという事が経済的な事も含め全く分かっていなかった。
当時の日本国にとって外貨は貴重で、一人が外国へ行く場合持っていける額は年に500ドルに制限されていた。
僕には個人的に持って行く金は全く無かったが、それまで貧乏生活に慣れていたので「行けば何とかなるだろう」と思っていた。
 
 

フランス行き準備

とにかく僕はフランスへ行くつもりになっていて、日仏学院の即席会話講座のようなものを受けて、挨拶くらいは出来るようにと準備をしていた。
とにかく早く行きたいので、その講座も3ヶ月程でやめ、パリへ発つ準備をした。
財政的に余裕のない会社は航空券と当分のホテル代だけは何とかしようということになった。
 
それからの入用はわからないのと、もし日本から送金するにしても現地でどんなふうに受け取ることが出来るのかも分からない。
しかし、当時の僕にとっては夢のような外国へ早く行きたいという気持ちで一杯で、ある団体旅行の一員としてパリへ出発する事になった。
その時僕は30歳になろうとしていた。
 
 

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