アユタヤと日本の関係【コウゲン編87】

アユタヤと日本の関係

 

タイのアユタヤ遺跡

 

僕らはバンコクに着いた

僕らはバンコクに着いた。

 

のちに新空港ができて交通事情も良くなるが、この頃は街の中心部までは時間もかなりかかった。
この頃のバンコクは発展途上で、新しいビルがあちこちで建てられていた。

 

前回バンコクに来た時に仲良くなったTNメーカーの社長夫妻がホテルに来て、歓迎してくれた。
早速Cさんと仕事のスケジュールを作る。
話をしているうちに、1日くらいはタイ観光を案内しようと言うことになり、そのスケジュールも入れた。

 

前回来た時にいいシリーズができたRLメーカーともCさんは前回同様、新しいコレクションを作った。
そして次にTLメーカーとの仕事も終えてから、TLメーカー夫妻が計画してくれたタイ観光に彼らの車で出かけた。

 

 

500年ほど前に日本人街があったアユタヤへ行った

彼らの提案で行き先はアユタヤということになった。

 

アユタヤには14世紀半ば頃からアユタヤ王朝があり、周囲の中国、フィリピン、インドネシア、インドなどと交易して一大海運国家として栄えた。
100万人の人口を抱える当時世界でも指折りの大都会であったという。

 

1600年初頭、日本からも朱印船で交易に出かける船も多く、アユタヤには日本人街もあったとのこと。
そんなアユタヤに、沼津の領主に仕えていたと言われる山田長政が訪れ滞在することになる。

 

アユタヤ王朝は当時、隣国のビルマにたびたび攻め込まれて被害を被っていた。
その状況を見て、日本で戦国時代を経験していた山田長政は傭兵隊を率いて、アユタヤ王朝を助けたという。
それが高く評価され、山田長政は王の護衛隊長になった。

 

しかしのちに王が亡くなり、後継者をめぐる争いが起こった。
それに巻き込まれ彼も命を失い、その結果、彼の拠点となっていた日本人街も破壊されたそうだ。

 

その後も日本人達が戻って日本人街を立て直そうとしたが、その時はもう日本では江戸幕府の時代になっていた。
幕府による鎖国政策のために日本人のアユタヤへの渡来もなくなり、実現はしなかったという。

 

 

アユタヤ王朝はビルマに敗れ、僕はNTさんに卓球で敗れた

アユタヤ王朝はその後、強力なビルマに侵略され、滅亡してしまったということだ。
そんなアユタヤの遺跡を見て、昔も日本の人達がはるばるタイまで来て活躍していた様を想像して、感慨に耽ってバンコクに戻ってきた。

 

バンコクでは、僕は卓球の上手いTNメーカーの社長と一戦を交え、善戦虚しく敗れ、東京へ戻った。

 

 

 

プロフィール

水彩風の男性写真

名前はコウゲン。
田舎のお寺の長男に生まれ、坊主になりたくなかった僕は、とにかく遠くへ逃げたかった。
出来れば外国へ。
その夢が実現してパリに10年住んだ後、日本に帰国してジュエリーブランドを創業。

帰国後に図らずも住職になってしまったものの、外国とのコンタクトは続く。

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代表者名 奥谷千賀子(オクヤ チカコ)
E-mail info@imac-jewelry.com

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