オーストリアのアクセサリー村【コウゲン編104】
目次
オーストリアのアクセサリー村
オーストリアのアクセサリー村の歴史
オーストリアの片田舎のアクセサリー村で聞いた彼らの歴史。
オーストリアのEnns(エンス)という町の話だ。
現在ラインストーンを中心とするアクセサリーを製造する職人たちの全てが、チェコのガブロンツ(現在のヤブロネッツ)から難民として、引き上げてきた。
それが1945年。
それまで彼らの祖先はチェコスロバキアのガブロンツで営々とラインストーンを中心とするボヘミアングラスによる宝飾産業を、19世紀から営んできた。
ボヘミヤ地方でしかできない上質のグラス製品、特に女性用のファッションアクセサリーのラインストーンを中心に世界中に売れて、ガブロンツの街は富み栄えたという。
街がナチスドイツの保護領になる
チェコスロバキア共和国のこの地方が、1938年ナチスドイツの保護領になる。
第2次世界大戦ドイツの敗戦で追放の憂き目
それが第2次世界大戦終結と同時にドイツ保護領でなくなり、その地方に住んでいたドイツ系住民は全てを置いて追放されるという悲劇にあった。
グラス関係の業者達はその工場も機械も全て置いたまま、その地を追放されたという。
その後にはチェコ人が入り込んで、全てを引き継いでしまったという。
ガブロンツというそれまでの街の名前もヤブロネッツ(Yablonec nad Nisou)と変えられた。
後にソビエト共産主義陣営に入るチェコのヤブロネッツの宝飾産業も含めたガラス産業は、共産圏市場のみを対象にしていくことになったようだ。
難民としてドイツへ、オーストリアへ
チェコから追い出されたドイツ人職人達は難民として、一部はドイツのミュンヘンの近くでneugablonnz(新しいガブロンツ)という町を作った。
そして、一部はオーストリアのLinz(リンツ)の近くにEnns(エンス)という小さな町を作った。
彼らは共にラインストーンを中心とする先祖代々の宝飾業を営み、自由主義世界の国々を相手に、広く活動を続けることになったという。
Ennsのメーカーには永い伝統技術がある
imac(イマック)のデザイナーCさんは、パリでラインストーンのアクセサリーの素晴らしさを発見した。
そしてその製造元を探し、やがて探し当てたのがまさにこのオーストリアのEnns(エンス)のGablonzer von Ennsだったということだ。
imacのCさんはそのEnns(エンス)のガブロンザーでスワロフスキーのラインストーンに出会い、その魅力にハマってしまったというわけだ。
ここではラインストーンを含むグラス関係のものを中心に、アクセサリーはなんでも作ることができるメーカーがごく狭いところに揃っている。
全てのメーカーが隣接しているから本当に便利だ。
そして担当のBKさんに言えばどのメーカーにもすぐ連絡してくれる。
Cさんが描いたデザインのサンプルも、少し待っているとすぐ仕上げて見せてくれる。
彼らの持っている技術には長い歴史の積み上げがあったのだ。
女性が身につける宝飾品であるためのノウハウを全ての職人が身につけていて、でき上がりがキレイで、堅牢度が高い。
僕らは他の国でも作らせることがあるから、違いがよくわかる。
今やimacにとって、そしてCさんにとって、Ennsのメーカーたちは不可欠の存在になった。
そして僕にはテニスを教えてくれる友達もできて、オーストリアへ来るの楽しみだ。
プロフィール
名前はコウゲン。
田舎のお寺の長男に生まれ、坊主になりたくなかった僕は、とにかく遠くへ逃げたかった。
出来れば外国へ。
その夢が実現してパリに10年住んだ後、日本に帰国してジュエリーブランドを創業。
帰国後に図らずも住職になってしまったものの、外国とのコンタクトは続く。
関連情報
主役になれるドレスアップジュエリー|imac(イマック)
imac(イマック)は、日本人デザイナーのオリジナルデザインによってヨーロッパの工房で制作されたコスチュームジュエリーをお届けしています。おしゃれ心を刺激するモードなきらめきに溢れたネックレス、イヤリング、ブローチ、ヘアアクセサリーなどのアクセサリーが品のあるかわいらしさとトレンド感を演出します。大人の女性に人気があり、プレゼントにもおすすめです。
会社名 | 株式会社イマックジュエリー |
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住所 |
〒107-0062 東京都港区南青山4-17-33 |
営業時間 | 10:00~17:00 |
代表者名 | 奥谷千賀子(オクヤ チカコ) |
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