リヨンでの発見【コウゲン編4】
目次
リヨンでの発見
デザインアトリエとの交渉
フランス語も英語もしゃべったり聞いたりすることがほとんどできない僕は、仕事始めに経験した通訳なし交渉成功例で、自信を得た。
「5月革命」もやっとおさまったパリの街を自分の求めている商品を探して歩き回った。
まず、プリント生地のためのデザインを制作しているデザインアトリエを探し、日本で売ることについて交渉すること。
デザインアトリエとその連絡先については、郵便局へ行ってそこに置いてある電話番号帳を見ればいいということが分かった。
電話帳を見るとパリにはたくさんのデザインアトリエがあるということも分かった。
電話アポはフランス語一文を丸暗記して
あとは電話でアポイントメントを取ることだ。
これは早速パリの語学学校で習った本を取り出し、アポイントメントを取るためのフランス語の一文を丸暗記して、これを繰り返すという事でうまく行くことが分かった。
当時のパリのデザインアトリエでも、日本の繊維関係が景気が良く、パリ発プリントデザインがよく売れるということが知られていて、どのアトリエに行っても交渉はスムーズにいった。
日本での販売契約成立
いくつかのデザインアトリエと契約ができ、日本での販売が出来るようになった。
これでまず我々の日本の会社も営業的に、ひと息をつくことができたようだ。
ただそれではまだまだ十分ではなく、もっと他のデザインアトリエを探すように言ってくる。
探すと、パリのかなり辺鄙(へんぴ)な所にも幾つかのデザインアトリエがあることがわかった。
そんな所にも行って交渉して、我々の会社を通じて日本で販売する契約をした。
その頃になると、デザインアトリエでデザインのことで話をすることには慣れて、契約とか、デザインについて話す内容については大体のことは間違いなく理解できるようになった。
その分野では同じ語彙(ごい)や、よく似た表現が常に使われることが多いからだ。
が、一旦気楽な世間話になると、とたんに僕の口からはフランス語は出てこない。
やはりフランス語も英語も喋ることはできない。
リヨンでのデザインアトリエ発見
しかし、とにかく仕事のことについてはアポイントメントを取ったりする事は問題は全くなくなった。
デザインアトリエについていえば、パリの他にパリから約500キロ離れた、以前絹で栄えたリヨンという街にもプリントデザインアトリエが残っている事がわかった。
もちろんここへもタドタドしいフランス語で電話をしてアポを取り、交渉しに出かけた。
元々旅行するのは大好きなので、これは旅行プラス仕事という楽しみなものだった。
リヨンに着くと、そのアトリエは「vieux Lyon (古いリヨン)」と呼ばれる古めかしい街並みの中にあった。
話に聞くとリヨンはルネッサンスの時代から絹の産地として知られていて、ベルサイユ宮殿の豪華な絹の織物は全てリヨンで作られていたそうである。
日本の富岡製糸場も、19世紀後半にリヨンの絹業界との提携の中で作られたそうだ。
富岡で作られた絹糸が多くリヨンへ送られたという。
そんなリヨンで作られた絹織物のために出来たプリントデザインアトリエが一部まだ存在していた。
その一つが僕が訪れたアトリエだった。
そのアトリエの主人も僕の訪問を喜んでくれて、日本での販売についてもオーケーということになった。
プロフィール
名前はコウゲン。
田舎のお寺の長男に生まれ、坊主になりたくなかった僕は、とにかく遠くへ逃げたかった。
出来れば外国へ。
その夢が実現してパリに10年住んだ後、日本に帰国してジュエリーブランドを創業。
前回までのあらすじ
・ファッション資料を求めて、フランス移住【コウゲン編1】
https://imac-j.com/blog/france/1502/
・フランス移住後、ゼネストと仕事【コウゲン編2】
https://imac-j.com/blog/france/1506/
・パリでの初仕事~通訳事件【コウゲン編3】
関連情報
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