サン・ジェルマン・デ・プレへ【コウゲン編36】
目次
サン・ジェルマン・デ・プレへ
サン・ジェルマン・デ・プレ近くに引っ越し
パリにいると、日本で本や新聞やテレビや映画でしか見られなかった物や人を見たり、出会ったりできたのも面白かった。
僕は、パートナーのCさんと住まいを一緒にしていて、持ち物もあまりないせいもあって、気軽に引っ越しをしていた。
僕達は引っ越しが好きだった。
パリで最終のアパートまでに合計10回の引っ越しをした。
それぞれの住まいはそれなりに楽しいものだったが、中でも印象に残っているのはサン・ジェルマン・デ・プレ(Saint-Germain-des-Prés)の近くにあったアパルトマンの屋根裏部屋だ。
このアパートはCさんの知り合いのの持ち物で、貸してもらうことになったのはラッキーだった。
当時の若者たち、誰もが住みたがる地域だった。
Rue de l’Echaudé(エショデ通り) という狭く小さな通りにあった。
もちろんエレベーターはない。
7階だったと思う。
木の古い階段をドタドタ登り降りする毎日だった。
古いアパルトマンで、おそらく築200年〜300年はたっていると思われた。
もっと古かったかもしれない。
というのは、Echaudé(エショデ)通りへ出てみるとアパートの下部から太い柱でアパート全体を支えている。
地震のない国だからこそ、こんなやり方で成り立つのだろう。
この地域には有名人が住んでいる
そんなエショデ通りの近所には、夕方になると有名人達がよく来るカフェやレストランがたくさんあった。
時には僕がその名を知っているような俳優が一人で歩いていたりした。
ジャン・ギャバンが歩いていた。
当時日本でも知られていた大女優ミシェル・モルガン(Michel Morgan)がやはり一人で散歩しているのに出会った。
当時まだ活躍中だったジャン・ポール・ベルモンドは仕事に出向くのか、派手なオープンカーに乗って、近くの彼のアパートから出かけるところに出会った。
それより大分前だけれど、1968年『5月革命』のとき昼間、バルザックの像があるVavin(ヴァヴァン)のそばのcaféのテラスで学生達と話をしている、セーター姿のサルトルを見た。
僕の学生の頃からサルトルはその実存主義で、世界中に知られた哲学者で、もちろん日本においてもそうで、僕も彼の写真はよく見ていたのですぐわかった。
そして彼はこんな風に、『5月革命』にも影響を与えていたらしい。
ファッションは右岸から左岸へ
1968年5月革命がなんとか収束したパリは、特に5月革命の中心地となったセーヌの左岸にあるカルチエ・ラタンを中心に若者が集まるようになっていた。
ファッションは左岸のサンジェルマン・デ・プレを中心に最新のファッションブティックが展開されるようになった。
これまではファッションといえばオートクーチュールが、シックでリッチなセーヌの右岸で、そのブティックを展開するのが伝統であった。
しかし、この時のファッションリーダーであったイヴ・サン・ローランはそのプレタポルテのブティックを、左岸のサン・ジェルマン・デ・プレ近くに出店して話題を呼んだ。
これからは左岸だ、という雰囲気になっていた。
1970年代になって、まだ時には赤軍派などの影響で不穏な事件もパリであったりしたが、それをのぞけばパリは、特にサン・ジェルマン・デプレを中心に夜になると、お祭りのような雰囲気だった。
僕たちはそんな時に、サン・ジェルマン・デ・プレの真ん中に住んでいたのだ、屋根裏部屋であったにしろ。
プロフィール
名前はコウゲン。
田舎のお寺の長男に生まれ、坊主になりたくなかった僕は、とにかく遠くへ逃げたかった。
出来れば外国へ。
その夢が実現してパリに10年住んだ後、日本に帰国してジュエリーブランドを創業。
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